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標石よりも探す過程がメインの三角点探訪ブログ。
2013/06/30(日)
塩竈市の鹽竈神社東参道の常夜灯台石に彫られている几号水準点。

前回、表参道の几号を見てきたが、東参道にも几号があることを知らずに帰ってしまったため、今日はその東参道のを見てやろうと再度鹽竈神社にやってきた。今回の記事は、上西勝也氏「日本の測量史」の「鹽竈神社東参道」の記事を丸パクリ参考にさせていただく。詳しい事に関しては氏のページを参照されたい。

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鹽竈神社の東参道入口である【現在地】。真新しい常夜燈が設置されている。今回確認に行く几号が彫ってある常夜燈も、元はここら辺にあったのだそうだ。それにしても上西氏のページで見た参道と若干、いや、結構様子が変わっている。参道の両側にあった建物が姿を消し駐車場となっているのだ。以前、向かって右側にあった建物は塩竈市役所の宮町分庁舎だったようだ。震災の影響で取り壊したのだろう。

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一の鳥居をくぐり、階段を左の方へ登っていく。
余談だが昔、ここの右奥のほうに法蓮寺という鹽竈神社の別当寺があったのだそうだ。

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東参道は別名「裏坂」と呼ばれ、表参道が藩主向けなのに対し、庶民向けの参道として江戸時代後期に整備されたものらしい(神社探訪狛犬見聞録・注連縄の豆知識より→該当ページ)。表参道に比べて緩やかな坂のため登りやすいはずなのだが、既にこの時点で息が切れている。くそっ、長い坂だなぁ。ちなみに階段の段数は表参道と同じ202段だそうです。

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二の鳥居。ここをくぐった先の向かって左側6基目の灯篭が今回のターゲットだ。

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それらしい常夜燈発見。数えるまでもなく、形ですぐに分かった。

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台石に几号が彫られた常夜燈。なるほど、確かに「不」マークが消えかかっていて見えづらい。


「不」マークのアップ。薄くて見づらいため、そばに落ちていた小枝の先でなぞり、少し見やすくしてみました。画像にカーソルを合わせるとマークをなぞった画像に切り替わります(当ブログ初の新機能w)。「不」というよりも、縦に「一小」って書いてあるみたいに見えますね。
この東参道の几号は、内務省地理局の文書に「宮城郡塩竈村杉坂町一ノ宮常夜燈臺石」として載っているものだそうです。表参道のについては記述が無く、詳細は不明のようです。(「日本の測量史」より)
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2013/06/23(日)
塩竈市の鹽竈神社表参道入口、鳥居横にある几号水準点。

今日は三角点探索とは違う用事、というか成り行きで鹽竈神社に参拝に来た。鹽竈神社といえば以前、上西勝也氏の「日本の測量史」(該当ページ)などを見ていて、鳥居の所に几号(きごう)水準点があることを知っていた。まさか今日ここへ来るとは思っていなかったから何も準備していなかったのだが、カメラだけは持ってきていたので折角だから見に行くことにしよう。
几号水準点とは…詳しくないので物好きな方はGoogle等で検索して調べて欲しい。早い話、現在国土地理院が管理している水準点が出来る前の古い水準点で、イギリスに倣い漢字の「不」に似た記号が彫ってある物である。以前、仙台市太白区の愛宕神社で見た物もこれの一種(厳密には違う)である。

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というわけで、駐車場が裏側にあるため参道は通らず、いきなり拝殿に来た。あいにく改装工事中のため建物はシートで覆われており、有り難みが無い。これでは工事現場にあるプレハブの事務所みたいである。

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几号水準点は表参道の鳥居の所にあったはずだ。こっちへ行けばいいんだな。

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うわー!これ降りるのかよ!さっき看板に「二百二段の階段」って書いてあったよな。登りが地獄だな、こりゃ。

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階段を下りると鳥居の横に、それらしき物を発見。(正面から見るとこんな感じ

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ずいぶん無駄に立派だなぁ。保護石というか「保護柵」だね、こりゃ。

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上面の石には、この几号水準点についての解説が書いてあります。以下引用。

高低几号標柱

高低几(記)号は、海の干満の平均値から求められた標高の基準となる零メートル地点を示すものです。明治九年、日本地図作成のため東京・塩竈間の水準測量に伴い各所に設置されました。この高低几号標柱は、独立した石柱として現存する唯一のもので、表参道付近まで入江となっていた当時の塩竈の姿を伝えています。

今回は予め下調べをしてなく予備知識だけだったが、この文章が何かとても胡散臭く感じた。
まず「標高の基準となる零メートル地点を示すものです」の部分。水準点ですから標高の基準であることに間違いはないのですが、0メートルを表している物では無いはず。海沿いならともかく、内陸にある几号水準点は結構あるはずです。「表参道付近まで入江となっていた当時の塩竈の姿」というのも辻褄を合わせるためのようで何か疑わしいです。(※)
次に「独立した石柱として現存する唯一のもの」という部分について。確かに几号水準点は石製の道標や碑などに彫り込まれてあるものが殆どのようで、このように標石となっている物は珍しいのかもしれませんが、他にもあるはずですし、現存しているのはこれだけでは無いはず。
こうしてみると、この解説文のほぼ全てが適当に書いてあるみたいで、いまいち信用できません。誰が考えついたんでしょう?

Wikipediaによれば、鹽竈神社南側の県道3は、祓川という川を暗渠化したもので、以前は千賀ノ浦(現・塩釜港)という入江だったという。なので「表参道付近まで入江」という記述は間違いではないようだ。(2013/7/1 追記)

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標石です。

家に戻ってから、ちょっと調べてみたのですが、現在の水準点の高さが標石上面の「出べそ」の上を基準にしているのに対し、几号は「不」マークの横棒(「↑」の上の「-」)の高さが基準となるようです。なので0メートルを表してるのであれば、標石の大半は常に水没していることになります。まぁありえませんね…。
伊藤正昭氏の「山岳展望への誘い」の中の「几号水準点(明治初期の水準点)」のページにも、この鹽竈神社の几号の記事があるのですが、例の解説文について

しかしこの説明板の出典が明らかでなく、また記録も無いことから確認は出来ないでいる。

と書かれています。うーん、やっぱり。ますます怪しい…。

ちなみに上西勝也・伊藤正昭両氏のページとも、東参道の常夜灯に別の几号が彫ってあり、そちらの方が記録もちゃんと残っている「本物」であるといったような事が書かれてあります。じゃこれは何なの?記念に作ったモニュメントみたいなものか??
つうか、東参道に几号があるなんて全く気にしてなかった。鹽竈神社の几号といえば、表参道のここだけだと思ってたよ。後日、東参道のほうにも行かねば!
[鹽竈神社表参道几号水準点]の続きを読む
2011/07/09(土)
仙台市太白区向山の愛宕神社境内にある経緯度測点(几号水準点)。

前回、山元町へ基準水準点を見に行ったが、もうちょっと変わった水準点も見たくなった。

いろいろ調べていると、水準点には「几号水準点」という物があるらしい。
Wikipediaによれば、これは明治初期に内務省地理局が全国の地図作成の基礎とするため設置した物で、一部は各地に現存しているが、これらは現行の水準点としては機能していない。
つまり過去の遺物ということだ。

几号水準点標石は、これといって決まったものは無いようで道端の道標や碑をそのまま利用してる場合が多く、目印として漢字の「不」に似た記号を彫り込んであるようだ。

仙台市内には向山の愛宕神社に残っているらしい。
但しここのは経緯度測点として有名なようで、几号水準点はオマケみたいなものか。
まずは行ってみよう。

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愛宕神社は至る所にあるが、仙台で愛宕神社といえば向山の愛宕山にある神社である。
早速行ってみたものの、標石がどこにあるのかが分からない。
仕方ないので社務所の巫女さんに聞いてみる。と、奥の方へ誰かを呼びに行ったようだ。
少し待つと中から初老の男性が出てきた。どうやらここの宮司さんらしい。
宮司さんに測点のことについて尋ねると何と案内してくれるらしい。親切すぎる!というかお忙しいところ申し訳ないなぁ…。

で、案内されたのが画像の場所。鳥居から少し入った所の左側にあった。
この参道を経由せずに駐車場から直接境内に入ったため分からなかったみたい。

ちなみに画像の両端に写っているのは鳥居の足なのだが、この上の部分が震災で破損していた。
宮司さんの話では今回は破損した鳥居の一部は下に落ちただけだったが、1978年の宮城県沖地震では標石の前の参道付近まで飛んでいったらしい。

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標石です。意外に大きい。
宮司さんの話では、元は画像の赤矢印付近にあったのだが1978年の宮城県沖地震の際に崖が崩落しそうになったため、現在の所に移設したとのこと。
ん?それでは経緯度がずれてるんじゃないの??…でも遺物だからいいのか。今では記念碑みたいなもんだし。
1978年に崩落しそうになった崖は今回も同様に崩落しそうになり補修工事を行ったそうだ。

ここで、いただいたパンフレットに書かれていることを丸々引用させていただく

明治十六年(一八八三年)十一月、時の内務省地理局は、全国の経緯度測量を行った。当時の経緯度測量は星(恒星)の位置を観測する天文測量を基本とし、その際に星を観測する器械を置いた測点標石である。経度測量は十一月七日から十七日まで、緯度測量は同月二十一日から十二月二日まで行われた。測量終了後、地理局は宮城県に対し、測点の永久保存を伝えられた。全国の測点でこれほど完全に残っている例はなく、測量史跡として極めて貴重であります。

引用文には「星を観測する器械を置いた測点標石」と書いてある。
つまりこの標石は“天測台”だったのだ。
経緯度測点標石+几号水準点+天測台という、一台三役の標石ということになる。

keiidosokuten.jpg
標石のアップ。
上面には右書きで上から「経緯度測點」「△」「内務省地理局」と書いてあります。
三角測量ではないので三角マークの意味が良く分かりません。

手前側に几号水準点であることを示す「不」マークが彫ってあります。
パンフには水準点に関することが書かれていなかったので、もしかすると元々はただの経緯度測点で後から几号水準点を付け足したのかもしれません。
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