標石よりも探す過程がメインの三角点探訪ブログ。
2017/08/27(日)
登米市役所中田総合支所の北700m付近、八幡揚水機場敷地内にある四等三角点。
※この記事は舘沢省吾氏からの情報を参考にしています。
※この記事は“小倉”の続きです。

次は番号順通りに「宮 6」“堂山”へ行きたいところだが、地図を見ると位置的にどう考えても「宮 10」“舘”へ先に行った方が良さそうだ。次が終わったら昼飯の時間くらいになるはずなので、飲食店が多そうな佐沼方面へ行くのにも都合が良い。

点の記によると、“舘”は平成13年に近くから揚水機場(ポンプ場)の敷地内に移転されている。「旧位置より南東約232m」の位置へ移転されたようなので、元の位置はこの辺りだろうか?恐らく道路工事か何かで移転したのだと思われるが、標石を交換したようなことは書かれていないので「宮 10」の標石がそのまま残っているのではないかと思われる。いや、残っててくれ。
但しやっぱりというか、お約束というか、埋設法(設置区分)の欄に「地下 上部舗装」と書かれている。これは標石の上面しか見られない状態、つまり肝心の「宮 10」が確認できないということを示している。運が良ければ舗装面と標石との間に隙間があって何とか見られることもあるけど、そうだったとしても移転が今から16年前のことなので隙間が埋まってしまっている可能性が高い。…まぁ今回は取りあえず標石だけでも拝めればいいか。

ところで“舘”という点名は結構ありがちで、以前同名の点に行ったことがあると思っていたんですが、調べてみると今まで「館山」や「舘山」なら数ヶ所行ってるのに「舘」は何と初めてでした。ちょっと意外。

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先ほど“小倉”へ行くときに車を駐めていた交差点に戻ってきた。【現在地
ここを右折して南へ向かう。

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600mほど進み、画像の交差点を左折。【現在地
目の前の建物もポンプ場だけど、当然ここではない。

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道なりに2.4kmほど進み、ここを左折。【現在地

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あとはポンプ場まで一直線。【現在地

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ポンプ場に到着。後はフェンス沿いに進めば、北西角から2mのところに標石があるはず。いやぁ楽勝だな。
このポンプ場、点の記には「桜場揚水機場」と書かれていますが、現在は「八幡揚水機場」に名前が変わったようです。何となく建物も新しめなので、改築した際に名称変更したんでしょうね。

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おやっ!?
これ、どう見ても標示杭だよね?何でこんなところにあるわけ?なんかもの凄く嫌な予感がする…。

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フェンスの北西角から2mのところに標石が…無ぇぜ!!!
いや待て、きっと砂利の中に埋まってるさ。フェンスの角からメジャーで測ってスコップでガシガシ…

無いじゃん。うそっ。何これ。
さっきの転がってた標示杭ってこういうことだったのか…。 orz

もしかして、改築した際に勝手に標石を引っこ抜いたか、かさ上げして地中深くに埋まっちゃったとかか?

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点の記を見ると建物の角から13.6m、画像のコンクリート構造物の角から13.2mとも書いてある。建物は変わってるかもしれないけど、これは昔のままっぽいな?
念のため測ってみるか。

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13.2mって、この辺だよな…。
おぉっ!さっきのフェンスの角よりずっと手前だぞ!これはもしかして…

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周辺を掘ってみると…

コツン!
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!

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あぁ良かった。これって敷地が西へ少し拡張されて、フェンスの位置が変わったということかな?
せっかくなので、転がってた標示杭をそばに立ててみました。(撮影後、元のところに戻しました)

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上面です。
県名表示の標石なのか確認できないのが残念。でも見た目、新しい石では無かったので、恐らく昭和26年当時の物だと思います?

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コンクリート構造物の角から13.2m (点の記の通り)

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フェンスから1.25m

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フェンス北西角からは5.15m でした。

それにしても標石を埋めてしまうなんて酷い業者ですね!!
まぁ、私も帰りにまた埋めてきたけどね…。
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2017/08/27(日)
登米市中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館の北3km付近にある四等三角点。
※この記事は舘沢省吾氏からの情報を参考にしています。

次は、登米に来た本来の目的地へ向かうことにしよう。

以前、登米市石越町の四等三角点“山寺”へ行ったとき、標石の裏側に「宮 37」と彫られているのを確認したことがありました。他にも栗原市の図根点“山の神”で「宮 15」。同様に図根点“打越”でも「宮 11」(本来は「宮 23」詳細は記事参照)と彫られているのを確認しています。

“山寺”の記事でも少し触れましたが、舘沢省吾氏によると、この標石の裏の「宮」は宮城、つまり県別の表示で戦後のごく短期間に設置された四等三角点や図根点に刻印されているものだそうです。
戦後、戦災復興の目的で四等サイズの等級無し三角点標石が全国に設置された後、昭和26年から30年頃までの短い期間、標石の裏に県別表示と1から始まる通し番号が付いた四等三角点が設置されました。(ただし県別表示は東北地方だと青森・秋田では採用されなかったそうです)
昭和30年からは全国共通の6桁の番号(標識番号)が刻印されるようになり、現在に至っています。
※この辺の事柄は上西勝也氏のページにも書かれています。

宮城県の四等三角点標石第1号「宮 1」は“八幡山”(昭和26年10月3日設置)という点名で存在していましたが、廃点になったようです。「宮 2」の“粧坂”も廃点され、結局現存する最古の番号は「宮 5」のようです。…ん~、何か昔のナンバープレートみたい。

今回はその「宮 5」以降に残っている点の古い順から「宮 5」“小倉”、「宮 6」“堂山”、「宮 10」“舘”の3点へ行こうと思います。ちなみにこの3点とも、登米市に存在しています。

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…というわけで、まずは“小倉”へ向かう。先ほど佐沼城址の内務省標石つながりで小倉山の話が出ていましたが、ただの偶然です。
その佐沼城址(鹿ケ城公園)より、県道36→県道200を経由し、石ノ森章太郎ふるさと記念館より300mほど進んだところにある画像の交差点を右折する。【現在地

ちなみにここの地名は登米市中田町石森(いしのもり)で、石ノ森章太郎のペンネームもこの地名から来ているそうですね。これから行く三角点のある山の所在地も中田町石森字小倉です。

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交差点を右折後、県道130を3kmほど進み、ここを右折。【現在地
右へ行く道路は最近出来たばかりらしく、2017年8月の時点で地形図には載っていない。

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「新道」を500mほど進むと画像の十字路がある。【現在地
その少し手前に旧道跡があるので、右側の空き地に車を駐め、左の方へ行く。

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ここを左へ行き、山沿いの集落に入る。【現在地
遠くに、以前行った二等“高倉”のすぐ近くにあった中継所の鉄塔が見える。(実は2つ上の画像にも写ってます)

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これが点の記に書かれている天満宮の鳥居だな。【現在地
早速登ってみよう。

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えっ!?【現在地

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何じゃこりゃああああ!!!【現在地
※これでも神社の参道の階段です。

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参道の階段を無理矢理登り切ると、小さな祠があった。入口の鳥居を見て、それなりの社があるのかと思ったが期待外れである。【現在地
点の記の要図の通り右奥に道らしきものがあったので、そちらへ進んでみる。

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うーん、道なんて無いぞ。確かに点の記にもそう書いてあったけど。適当に登るしかないな。【現在地

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もうすぐで山頂のはずなんだが…。【現在地

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あった!【現在地

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標石です。
見た目、最近の四等と変わりありません。

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東面「基本」

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北面「宮 5」
キター!これぞ最古四等の証し!!
とはいえ、それでも昭和26年ですから一等~三等の大半が明治なのに比べると最近の物なんですけどね。それにしてもこれ「5」のはずなんだけど、何となく「6」か「8」に見えなくもないな…。点の記に「第5号」って書いてあるから「5」ということで良いかな。

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西面「地理調」
四等標石としては、これが書いてあるだけでもレアですねー。

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上面です。
十字マークの左上に黄色い印が付いてますが、ICタグでは無さそうです。

やっぱり、こういう所は夏に来ちゃダメですね…。
[小倉(四等三角点)]の続きを読む
2017/08/27(日)
登米市迫町佐沼の鹿ケ城公園(佐沼城址)内にある内務省標石。
※この記事はcaz3氏からの情報を参考にしています。

先日、caz3氏より「佐沼城址に内務省標石と似たような標石がある」との情報を得た。caz3氏の友人が偶然発見したもので、小倉山にあった物とそっくりな石材・字体で「内務省」と書かれた標石らしい。おぉこれはかなり興味あるぞ!
ちょうど別件で登米へ行くつもりだったので、早速そのついでに見に行ってみることにした。

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三陸道登米ICより県道36を経由して旧迫町の佐沼に来た。【現在地
画像の交差点右奥が歴史博物館と佐沼城址である。

余談ですが、佐沼はあのウジエスーパーの本拠地だけあって、店も道を走るトラックもウジエだらけで驚いた(笑)。

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交差点を右折後すぐ左折し、駐車場に車を駐める。【現在地

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この右奥が目的地の佐沼城址だ。【現在地

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ここが入口みたいだな。【現在地
駐車場にも入口の階段がありますが、ブログの記事にする際見栄えが良いのでわざわざこっちに来ました(笑)。

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本来であればこれからこの公園内を歩き回って標石探しをするんですけど、caz3氏より送って頂いた画像を見て既に位置を特定していたので標石の方へ一直線。うーん、何かズルした気分。【現在地

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標石はあの神社の建物の脇にあるはずだ。【現在地

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あった!

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標石です。
確かに小倉山のとそっくり。というか同じ物ですね。こんな所でまたお目にかかれるとは。
実はこの画像、この時(朝9時頃)撮ったものではありません。この時は太陽光線の角度が悪くて、標石の字がハッキリ読めませんでした。ところが後で標石の経緯度を測っていないことに気付き、昼食のため佐沼へ戻って来た際に再度行った時撮ったものです。おかげで良い画像が撮れました。どうやら私が昼食後に来た1時間後に、ゆう氏もここに来たみたいですよ。

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「内務省」
こちら側が西を向いています。

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南面。何も彫られていないようです。

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東面(裏面)。「R41」と彫られています。
誰かがいたずらで下に一本線を追加したため何となくB41と読みたくなりますが、R41で間違いないでしょう。
小倉山のと同様にアルファベット+数字の組み合わせです。何なんでしょうね?
※この面以降は、この時(朝9時頃)撮った画像です。

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北面。南面と同様に何も彫られていないようです。

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上面です。手前側が「内務省」の面です。
十字マークなので測量標の可能性が高いと思うんですけどね…。

標石の大きさは15.4x15.0cmの5寸角で、この状態での高さが85.5cm、本来露出する部分の高さが34.0cm
十字マークの大きさは11cmでした。

この標石についてcaz3氏より「昭和初期(戦前)に新江合川・迫川が開削されたときに用いられた測量測点なのではないか」とのコメントを頂きました。
確かにどちらも河川の近くにある高台に設置されていますし、どちらも標石から河川を見た場合、手前側の面が「内務省」です。caz3氏の説の通り、これが河川工事の際の測量標、つまり河川測量標だった可能性は大いにあると思います。裏面の番号は河川に沿って連番になっているのでしょう。
この手の物は宮城縣標石(三角標)でよく見かけますが、この標石の設置者は県では無く、内務省つまり国です。これは河川工事の事業主体が国か地方自治体かの違いによるものではないでしょうか。

何か今回は色々と新しい発見があったような気がします。caz3さん、情報ありがとうございました。
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